【悲報】高橋周平さんの2軍時代、寮で晩御飯がほとんど食べられず近所の料理屋に通っていた・・・・・

【悲報】高橋周平さんの2軍時代、
寮で晩御飯がほとんど食べられず
近所の料理屋に通っていた・・・・・

 

 


「北海道から東京に移動するとします。普通は東北を南に進んでゴールですよね。


でも、なぜか日本海側を渡って鳥取まで行って、そこから東京に向かった感じです」


あまりにも独特な表現で高橋周平はプロ9年間を振り返った。


高校通算71本塁打スラッガーは2012年のドラフト会議で3球団競合の末、中日ドラゴンズに入団。


1年目に18歳4か月で初本塁打を放ち、ドラフト制後の高卒新人としては史上最速記録を更新した。


しかし、初の規定打席到達は7年目の2018年。ずいぶん遠回りした。


「3年目くらいからは完全に迷子でした。とにかく一軍のピッチャーの変化球に対応できず、低めのボール球を振りまくり。


打席で『あれはやっちゃダメ。これはやらないとダメ』と考え過ぎていたら、今度はバットが出てこない。
すぐに追い込まれて、はい、終了。その繰り返しでした」


当時は自分の理想も周囲の期待も「ホームランを量産するチームの主砲」だった。


しかし、現実は程遠く、暗中模索が続いた。


「どういう選手になるべきか、全然分からなくなっていました。でも、練習だけは死ぬほどやっていました。


今思えば、佐伯(貴弘)さんが二軍監督だった頃の練習が実を結んでいるんだと思います。本当にきつかった。


朝から練習して、試合に出て、終わった後に特守を2時間。そこでみんな終わるんですが、


僕と(古本)武尊さんだけは6時から室内でバッティング。


やっと8時過ぎに終わって、寮で晩ご飯を食べようと思っても、ほとんど残ってない。


仕方なく2人で近くの鳥料理屋さんで食べていました。毎日フラフラでした」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ff72dfc594c95158b2b52b5ac469229a809cbbcd?page=1

 

 

 

 


古本そんだけやっても全然アカンかったやん
才能ないな

 


>>3
目やぞ
ホンダ鈴鹿も1年でクビだったろ

 


飯残ってねぇってどういう状況だよ
気使って残しといてやれよ

 


誰かがおかわりしたんやろなぁ