結論から行って、大抵はお前の生きて来た心理状態を平均したような世界に行く 子供の頃からいつも疲れているような人は暗い世界に行く 明るさ 暗さ 軽さ これが死後の世界を決める主要因 どこにあるの? >> 同じ宇宙にあって違う法則が働いている場所 要は次元が違うからまず分からない お前らが少し意識しない時に目の裏に景色が浮かんだなら それが死後の世界 でも、大抵その死後の世界は自分の記憶とミックスされたりしてて 死後の世界に相似した世界になっている場合がある もっと言えばお前らが本気を出せば その死後の世界にそのまま行くことも可能 誰かがこれをタイムループと名づけていたけど 要は輪廻の一種に過ぎない 氏んだら記憶を失って輪廻を繰り返す >> 本当ですか? >> 本当、こっちの世界ではこれを勘違いして 違う世界に1年いて、こっちの世界では数分しか立ってないという人もいた 時間の流れの違う世界もあるということ そもそも、数分を1年の経験を幻覚で経験するなんて発想 いくら脳が優れているとしておかしいと気づかないといけないことなんだけど 気づいた人はこれを利用して世界を移動している 自分はこれで3回目 これに気づいたら最初は世界が無数にあると思うかも知れないけど、あるいは全て同じものを見ていて、見方が違うのかも知れない 地球がもし滅びたらどうなりますか? >> 地球が滅びた世界も輪廻の気づきとイメージによって近づくことが出来る 君が想像した世界に行きたかったら行ける ただ、高次元の自分というものがいて 例えば完全に時間の止まった世界に行ったとしても 高次元の自分は自由度が高いからその世界から抜け出せる=時間の止まった世界から抜け出せる 俺も部活で一回、事故で一回 仕事で複数回氏にかけたことあるが 最も氏に近かった時は、マジでお花畑と氏んだ親戚に合ったわ >> お前の仕事天国に一番近いなw ちなみに、このことに気づいた人達は輪廻が存在することを知るけど そうなると、大抵は意識的に輪廻を繰り返すことを覚える でも、もしかしたら油断して事故なんかで氏んで記憶を消す輪廻の繰り返しに戻るか これは低い可能性だけど、輪廻を断ち切る方法が分からず、疲れてそのまま諦めて記憶を帰すかすると思う ただ、輪廻を自覚している自分というのもいて 大抵、気づいた人は輪廻を忘れてもまた気づく時がすぐに来る >> そうそれが前世の記憶なんです 信じないか信じないかは…あなた次第 移動の世界って平行世界のこと? 心の境地が高くなればなるほど(要は幸せになるほど)色々と自由が効く高次元とも言える世界に行くことが出来る >> 平行世界は時間を概念とする発想だと思うから違うと思う 実際は時間も世界の一部 もっと世界はぐちゃぐちゃしたものだと思っていい >> 平行世界の定義うんぬんではなく、物理的な移動が意識的な移動がが聞きたかった 世界が何を指しているのか分かりづらい >> 例えば「これがこうである」「これはこうではない」と思っている人はその思いの世界に一番近づき また、その世界に支配されている しかし、実際はそこには思いというか執着しかなく、それが何なのかを知らない ここに誰かが「法則がある」という しかし、それをまた誰かが「こちらが真実の法則で、それらは違う」という でも、真実の法則は唯一であり、真実の法則に2番目は無い だからこそ、真実の法則を知ったものは論議を越えて争わない 真実の法則を知ったことによって論争を越えていることになる だから、自分の言えることはただ一つ 例えば誰かがそれがあるとうならそれが「有る」か「無い」ということが言える 勿論「そこに石が有りながらにして無い」「そこに石が無いが有る」のはありえない しかし、そこに石があるのか無いのかは分からないが 可能性として「有る」「無い」ということは存在する ここにまず気づいて欲しい 自分の言葉にハッとした思いを感じた人は 何処かの世界で気づいてると思う 自分はもうすぐ輪廻を脱すると思う お前らが真実に気づくことを願ってる 誰かはこの世界を「絶対的な世界」と言う しかし、また誰かはこの世界を「絶対的ではない世界」と言う どれが本当のことなのか? 何度も言うように真実は常に1つであり、2つ目は無い 「無いことが無い」ということはありえない 「法則が無いという法則が無い」ということはありえない >> ×「法則が無いという法則が無い」ということはありえない ○「法則が無い」と誰かが言うならば 「法則が無い」という「法則が無い」ということはありえない ごめん、言葉で表現するのは本当に難しい でも、お前らが真実に気づくことを願ってる 正直、輪廻にもう疲れているんだ 輪廻するのも大分慣れて来た ちょっと高次元の方へ行くよ >> 心の満足充足度とあるが、悪徳を重ねる者は、他者の怨憎からの干渉を受け ここに因縁が生じるので、その他者のイメージに組伏せられる。 また、この世で神を多弁する者も、矮小な定義の枠にはめられ 自由度がおろそかになってしまう。 この世での神の定義そのものが、まがい物であること他ならない。 今生では、他者の関わりは不可欠だが、そのしがらみからも逃れられない。 それが、生きて氏することの難しさ。
「死後の世界」を何度も見たけど質問ある? 世界移動はこれで3回目
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